このところ湖の水位が低い。水が少ないとおびただしい数の切り株が姿を現す。これを見て眺めが良いという人もいれば、部屋に置いてオブジェにしたいという人もいる。しかし私には拷問され殺された首無しミイラに見えてしまう。切り株は、かってここが川だったころ、美しい渓谷を華やかに彩った緑の貴族たちだ(完全に正月にハマった「ローマ」の影響)。人は失って初めてその価値に気づくものである。田舎にいると、どうもイヤな所ばかりに目が行ってしまうのは、現代の日本に失われてしまった大切なものが、都会にいるよりも敏感に感じられるからだとも思う。奥多摩の山々を覆う杉の木を見ると、町のあちこちに見ることができる豪邸や倉と交換してしまった美しかったであろう森の姿を想像してしまう。むなしい話。
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